とあるリーマン建築家の書評ブログ

建築、デザイン、アート、ビジネスなどを中心に興味の赴くままに読んだ本を不定期でご紹介します。

「遺言」養老孟司

船中で書かれた著作

いわずと知れた養老先生の新書です。実は養老先生の本はここしばらく口述筆記ばかりで、自分で直接書いた本はかなり久しぶりだったようです。本を書いたその理由がまたかっこいい。「奥さんとその友人とカナリア諸島へいく船旅へお付き合いで参加することになり、船の中で暇だったから」。この本もきっと売れていると思うので、船旅代くらいすっかり取り返しているんじゃないでしょうか。

人間の意識はそんなに偉いのか

この本では専門分野である脳についてはもちろん、動物、都市、建築、宗教、言語、アート、コンピュータと様々な分野を縦横無尽に論考が行き来しますが、そこに通底するのは「人間の意識はそんなに偉いのか。感覚所与を軽視しすぎではないか」というスタンスです。

「目に光が入る、耳に音が入る。これを哲学では感覚所与という」動物は感覚所与の世界に生きています。外界からの刺激を受け取った感覚器からの情報をベースに行動しています。ところが人間には意識があるから、それを言語にしたり、数学にしたりして感覚器から入った情報を抽象化してしまう。

イコールの概念

第3章のタイトルは「ヒトはなぜイコールを理解したのか」となっていますが、その抽象化によって可能になったイコールの概念について語られています。リンゴがひとつある(リンゴA)。もうひとつリンゴがある(リンゴB)。どちらもリンゴだからA=B。これは人間の意識が行うかなり乱暴な抽象化の結果可能になるものであって、実際にはリンゴAとリンゴBは別の物体だし、別の物質だし、形も大きさも、存在している位置も、もぎ取られた時間も違う。でもそこをざっくりA=Bと言い切ってしまう抽象化を「意識」が可能にする。

さらに抽象化(イコールの概念)が進むとリンゴもブドウも同じ「果物」にくくられる。「果物」も「野菜」も同じ「食べ物」にくくられる。イコールを繰り返していくと最終的に意識がたどり着くのは「一神教」だといいます。

考えてみると「貨幣」「マネー」もイコールの概念の最たるものです。あなたの10円と私の10円は同じであるという前提があるからこそ交換が成り立ちます。そして1ドルが89円と同じ価値、ということにしているからこそ交換が成り立ちます。

そうして人間はこのイコールの概念によって複雑で高度な社会を作るに至りました。

「サピエンス全史」と同じことを言っている!?

ここまで読んでみてハタと気づきました。これって「サピエンス全史」と同じことを言っている、と。サピエンス全史ではこれを「虚構」という言葉で説明していました。イコールというのは実際にはイコールではなく、「イコールだということにしましょうね」というフィクション(虚構)が共有できているというだけのこと。

ちなみにそんなイコールまみれの人間の意識を解毒するのが「アート」だといいます。アートは唯一性がその存在価値であり、解釈も人それぞれ違う。同じであることを求めない。たしかにそういう面もあるような気がしてきます。

というわけで、「サピエンス全史」と合わせて読んでみるのも面白いかもしれません。80歳の叡智、おそるべし。

 

評価:★★★★(5段階評価)

 

遺言。 (新潮新書)

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